(岩手県釜石市において実践している津波防災に関する研究活動を紹介します)
3.11東北津波襲来時の小中学生の避難状況
津波襲来時の小中学生の避難状況について紹介します
子ども犠牲者ゼロ
東北地方太平洋沖地震に伴う津波による釜石市内の子どもの被害状況は以下の通りです。釜石市の小学生1,927人、中学生999人(H23.3.1時点)のうち、津波襲来時時において学校の管理下にあった児童・生徒については、適切な対応行動をとることによって、一人の犠牲者もだすことなく、大津波から生き残ることができました。また、市内の幼稚園児、保育園児においても、犠牲者はゼロでした。釜石市はこれまでの継続的な津波防災教育のより、地域の将来の担い手であり、地域の財産である“子どもたちの命”を守ることに成功しました!
一方、津波襲来時において学校管理下でなかった児童・生徒については、残念ながら5名が犠牲となってしまいました(H23.4.13時点)。
犠牲者の当日の状況

・地震発生当日、学校を欠席していて被災(2名)

・下校後、母親と買い物中に被災

・地震発生後、祖母の様子を見に行ったところ、余震により家財が転倒し被災

・地震発生後、迎えに来た保護者に引き渡し、その避難の最中に被災

志半ばで被災・・・ そして、今後は・・・
釜石市における防災教育の理念でも紹介したように、『子ども安全』をキーワードにして、保護者、地域住民へと活動を波及させていくことで釜石市全体の防災力の向上を目的として、これまで活動してきました。これまで紹介したように、子どもたちの対応は何のケチのつけようもない100点満点の対応をしてくれたと思います。その一方で、保護者や地域住民については、「学校で防災教育を実施していく仕組みが整ってきたので、これから力を入れて本格的にやっていこう」という状況であったため、他の自治体と同様に、多くの方が犠牲となってしまいました。
特に保護者については、地震発生後に、子どもたちを学校に迎えに行ったために被災したケースが少なくないようです。把握しているところでは、鵜住居小学校において、避難の途中で保護者が迎えに来て、その場で児童を引き渡す、という対応を4名について行ったそうです。しかし、このうち1名は残念ながら津波によって犠牲となってしまいました。同様のケースは釜石小学校においても把握されました。児童を迎えに行こうとした保護者が学校にたどり着く前に被災してしまったとのことです。それ以外にも車で児童を迎えにいった保護者は少なくないことが周辺住民によって目撃されています。先人からの言い伝えである『てんでんこ』を実行することができなかった保護者がいたことが残念でなりません。
釜石市は、今後しばらくの間、これまでとは異なる防災教育を実施していくことになると思います。それは、この度の大津波襲来時の対応、そしてここから復興するまでの過程などを後世に語り継ぐための防災教育です。ここで釜石の中学生が書いた作文を紹介します。これは、明治三陸津波、昭和三陸津波の被災経験を語り継ぐことの大切さを祖父から教えられた生徒が書いたものです。今度は彼らが今回の津波の経験を語り継ぐ番です。あれだけの大津波から生き残った子どもたちです。10年先、20年先になるかもしれませんが、彼らが中心となって、必ずや釜石を復興させてくれるものと確信しています。がんばれ、釜石!