(岩手県釜石市において実践している津波防災に関する研究活動を紹介します)
3.11東北津波による浸水実績調査

市内のいくつかの湾や集落について、どの程度の津波が襲来したのかを、被災前後の写真を比較して紹介します

(今回の津波の浸水範囲は速報値のため、今後の詳細な津波痕跡調査により修正される場合があります)

唐丹湾本郷の被災状況
本郷地区は、昭和三陸地震津波の後、津波による浸水を免れるために、集落を高台の再建しました(高地移転)。しかし、被災後数十年が経過し、津波の浸水域内に新しい住宅が建ち並ぶようになっていました。今回の津波によって、5メートルを超える防潮堤があったにもかかわらず、想定していた津波の規模よりも、過去の津波よりも、さらに広い範囲が甚大な被害を受けてしまいました。
                   
唐丹湾 本郷の津波浸水範囲
写真1 津波被災後の本郷の様子
(H23.3.18撮影)
写真2 高台にある桜並木の道路より下の家屋が全滅
(H23.3.18撮影)
写真3 津波被災前の本郷の様子
(H18.10.31撮影)
写真4 想定津波の浸水域内には新しい住宅が・・・
(H18.10.31撮影)

唐丹湾小白浜の被災状況
小白浜には、10メートルの防潮堤が整備されていたにもかかわらず、それを超える高さの津波が襲来し、防潮堤をなぎ倒し、集落の半分が襲われました。過去の津波よりも広い範囲が津波によって浸水する可能性があると予測されていましたが、今回の津波はそれと同等以上の大きさのものでした。
                   
唐丹湾 小白浜の津波浸水範囲
写真5 津波被災後の小白浜の様子
(H23.3.17撮影)
写真6 10メートルの防潮堤が津波によって破壊される
(H23.3.17撮影)
写真7 津波被災前の小白浜の様子
(H16.5.29撮影)
写真8 高台にあった住宅だけが被災を免れた
(H16.5.29撮影)

両石湾の被災状況
両石にも港には6メートルを超える防潮堤が整備されていたにもかかわらず、それを大きく超える津波の襲来によって、甚大な被害をもたらした明治三陸地震津波よりもさらに広範囲にまで津波が到達しました。防潮堤の門扉は跡形もなく吹き飛ばされ、集落は文字通り姿を消してしまいました。
明治三陸地震津波によって多くの犠牲者をだしたこの集落は、昭和三陸地震津波襲来時にはそのときの経験を活かし、最小限に被害にとどめることができました。果たしてこの度の津波襲来時にも、過去の経験は活かされたのか・・・未だに被害の全容を把握することができていませんので、多くの方が避難され、無事であることを祈るしかありません。
                   
両石湾の津波浸水範囲
写真9 津波被災後の両石の様子
(H23.3.18撮影)
写真10 6メートルの防潮堤が津波によって跡形もなくなってしまった
(H23.3.18撮影)
写真11 津波被災前の両石の様子
(H16.5.29撮影)
写真12 高台にあった避難場所まで津波が到達した
(H16.5.29撮影)